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2007年4月

2007年4月29日 (日)

税金払うから国は黙ってなさい

 日本という国は、資源がほとんど無いため、これまで技術製品の輸出で収益を上げてきた。今日、新たな輸出品目として注目されているのが文化的コンテンツ。つまりは、マンガやアニメ、ゲームである。
 内閣は、コンテンツ専門調査会を設置し、これらの産業の可能性について調べているらしい。そのメンバーの一人が、東大大学院の浜野教授。

知は動く コンテンツ力 日本の戦略
(前略)ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない

 黙れ、時代を食い物にする部外者め。
 この教授、スタンリー・キューブリックの研究などいい仕事もしてるみたいだけど、著書のリストを見ると『表現のビジネス』『極端に短いインターネットの歴史』『メディアの世紀』『デジタル革命の衝撃』『ハイパーメディア・ギャラクシー』と、時代の波に乗ったうさんくさい題名ばかり。そういう評論ももちろん立派な研究業績ではあるが、そこに創作物への愛や敬意があるのかといえば、多分ない。そういう人が、内閣の手先として、不遜にもゲームを文化として下位に格付けしようしている。
 こちとらそんなもんを黙って見過ごせるほど従順なオタクじゃないんじゃ、ゴラァ。三浦つとむ「日本語はどういう言語か」(1976)を引用しておくから、百回読んで暗記しろ。

すぐれた作品だけが芸術であるとか、すぐれた作品だけが文学の名に値するとかいう芸術観・文学観ではなく、芸術の中にすぐれたものとくだらないものとがあり、文学の中にすぐれたものとくだらないものとがある、と考えなければならないのです。芸術か否か、文学か否かは、客観的に、その事物自体の性格に基づいてきまっているもので、作品の優劣の価値判断からきまるものではありません。鑑賞の対象となる言語表現なら、小学生の綴方でも、新興宗教の教義でも、青年の生活綴方でも、お涙頂戴の大衆小説でも、紙芝居の説明でも、落語でも、すべて文学の一つとして扱われなければなりません。これらの果している社会的な役割も、やはり文学の社会性として、歴史の中に正しく位置づけられなければなりません。特殊なすぐれた言語表現だけが文学であり、その鑑賞者だけが文学の愛好者であると考える偏狭な態度を捨てなければなりません。

 この「文学」のところをゲームなど、他のコンテンツに変えても全然違わない、ということが分かるだろう。アニメの中に感動をもたらすものと時間を奪うだけのものがあり、ゲームの中にも感動をもたらすものと時間を奪うだけのものがあるのだ。その程度も考慮できない人が、コンテンツ政策の中心にいるとは、あいかわらず頼りにならない政府である。
 儲かったらちゃんと税金は払うからさ、邪魔な発言は控えて、制作者に任せてくれないかね、全く。

追記
 私が三浦つとむのこの本を手にしたのは、大学院の「文章表現論」という講義でのこと。学生は3人くらいしかいなかったが、面白い授業だった。教授が、元新聞記者で、当時からかなりのお歳だったハズなのに血気盛ん。自分のゼミ生をバカにされたら、他の先生につかみかかるような人だった。その先生に言わせると、私の文章はあまりに古すぎるらしい。大学ってのはこういうことを学べるから面白い。

2007年4月28日 (土)

切り札になるか? モノリスソフト

元記事:CNET Japan
任天堂、バンダイナムコからモノリスソフトを買収

 昨年3月末にバンダイとナムコが合併し、バンダイナムコゲームスとなってから一年あまりが経った。この間発売されたゲームは、合併前に開発した物ということもあり、今ひとつ変化が感じられなかったというのが正直なところ。
 しかし、ここへきてモノリスソフトを(戦略的に?)手放すとは興味深い。

 モノリスソフトは、特殊な設立経緯をもつ会社だ。
 彼らは、もともとはスクウェアにおいて「ゼノギアス」を開発したチームである。「ゼノギアス」は壮大な世界観の一部を表現したもの、と位置づけられており、スタッフは続編の開発を希望したが、当時のスクウェアはそれを認めなかったらしい。
 そこで、彼らは独立してモノリスソフトを興した。ナムコは資金を出し、モノリスを子会社とした。こうして、彼らが作りたかった「ゼノサーガ」シリーズは、ナムコの手で完結した。(いささか尻すぼみな展開で、やりたいことがどこまでできていたのかは分からないが…)また、その他のタイトルとして「バテンカイトス」「ナムコ×カプコン」なども手がけた。

 しかし近年、モノリスの立場は微妙になった。設立当初は、ナムコが苦手とするRPG部門の貴重な戦力だったものの、テイルズシリーズが乱作でも安定して売れる現在となっては、正直影が薄くなってしまった。
 モノリスを手放したいバンダイナムコ側と、RPGだけは作れない任天堂、双方の利害が一致しての今回の買収劇なのだろう。任天堂ブランドで出た「バテンカイトス」は、なかなか良い出来だったと聞いている。モノリスソフトの今後のゲームに期待したい。
 …と思ったら、次回作はWiiで「ディザスター」という謎のゲームを作っているらしい!

2007年4月23日 (月)

ロッキー4 炎の友情

 すでに何度もテレビ放映がされた「ロッキー」シリーズ。日曜洋画劇場四十周年記念と言うことで、先日の放送では淀川長治さんの解説部分も復活、いやはやこれは懐かしい。

 「ロッキー4」は、上映当時はラジー賞を総なめにするがっかり映画だったようだが、なかなかどうして、何度か見ると味が出てくる。
 意外性のカケラもない脚本には、全く見るべき所がない。しかし、各場面の丁寧な見せ方、独特のテンポがとても良い。数年前、映像の授業に使ったのだが、特に雪原での特訓シーンは、映画史に残る名場面。断言しよう、ここが「ロッキー4」のクライマックスなのであって、その後の試合などオマケみたいなもんだ。音と映像とが過酷なトレーニングそのままにテンションを高め、クロスカットが二人の選手を鮮やかに対比し、山頂で「ドーーーーラゴーーーーー」と叫ぶ頃にはもうすでにロッキーが圧勝していて、ロッキーの負けを心配する観客はほぼ全滅する。強い敵を倒すストーリーは数々あるが、この映画ほど特訓の成果に説得力があるものは珍しい。
 小賢しいテクニックや秘伝の必殺技などが全く顔を出さず、正面から殴り合うだけで結果を出すという清々しさも、近年の映画にない良さの一つ。「ロッキー」のスタローンはかくも偉大である。

マッチョ度 10
根性論   10
ご都合主義 10
個人的総合 7

2007年4月19日 (木)

ゲームは硬派だけど…?−biohazard4 Wii edition−

 急遽発売が決まった「バイオハザード4」Wii移植版。 
 Wiiのリモコンを使えばもっと直感的に操作できるはず! と企画は直球なのだが、このプロモーションは無いわ

プロモーションムービーを見てください!

 カップルで爽やかに楽しむのは無理ありすぎ。そこまでして「Wiiスポーツ」のプレイヤー達を取り込みたいか。なにげに実写との合成のレベルも高く、良くできたムービーなんだけど、どうにも変な笑いがこみ上げてくる。

2007年4月16日 (月)

スーパードルフィーの流行に物申す

 スーパードルフィーとは、ボークスが展開する超リアル球体関節人形のシリーズ。学生数人の間でだけ流行ってるのかと思ったら、最近よくテレビでも取り上げられている。

とりあえずこんなもん

 造形が素晴らしいが値段の方も素晴らしく高く、PS3が何台買えるやら、といった風情。(←そんなもんと比べるな)
 でもってアクセサリや服装がまた、人間様のものと同じくらいの価格となり、持ち主はドール様に貢ぐ日々となるらしい。こういう商品だから断然女性のファンが多くなるのだが、まず自分の身なりに金をかけるべきとガラにもなく主張したい。

 これは非常に個人的な感覚になるが、私はこのドール達に違和感がある。なぜかというと、あまりに造形が無垢だからだ。精巧ではあってもやはり工業製品の臭いはぬぐえない。
 そもそも人形というのは、人に似せて作った呪術的な物に端を発するのであって、もっと毒というか怖さというか、あるいは背徳というかエロスというか、そういうもんが含まれるべき物体である。などと主張するのは、私が以前から天野可淡に注目してきたからであり、今は亡きこの天才人形作家が、現在のドルフィーブームを見たら何と言うだろう、対抗してものすごい人形を作ってくれたのでは、などと想像してみるのもたまには悪くない。

勇気のある人だけクリックして本物を見よ

2007年4月15日 (日)

「地球へ…」02 ミュウの船

 成人検査を逃れたジョミーは、ミュウの母船へ逃れる。いきなり空中戦、しかもCG主体の表現になったのには驚いたね。

 それにしても、スタッフはよく頑張ったと思う。リオが口がきけないことをわびる場面、長老が講義中に義手をゴトッとはずす場面がちゃんとあった! ミュウは、肉体的に欠損を抱えている者が多い、というのが原作の設定。障害の表現にナーバスになっている昨今のテレビ放送にあって、この部分がきちんと再現されたのは大きい。
 システムに従う思想を持ち、健康な者だけが安心して暮らせる社会、というSD体制のありさまは、今まさに現実のものとなろうとしているのではないだろうか。

To2dobjw  ところで、端役のこの子、一人だけえらく今風すぎないか?

2007年4月10日 (火)

「地球へ…」01 目覚めの日

2nrrxv0k  アニメ「地球へ…」がついに放送開始した。
 ストーリーといい、キャラクターといい、あまりにも原作に忠実なので、今の視聴者がちゃんと楽しめるのだろうかと心配になった。
 第一話で不満なのは、その終わり方。テラズナンバー5と対峙するところで終わりにした方が、次が気になるのではないかと思う。それにしても、そのテラズナンバー5のデザインの冴えないことといったら。マンガ版での威圧感はどこへ行ったんだ。

 画像は、私が持っている別冊マンガ少年版「地球へ…」。ナキネズミの檻の前での名セリフが、アニメでは使われなかったのでここに引いておく。

ジョミー
「いつだっけか… 檻の動物を的にパチンコをやる子どもがいて その遊びはきびしく禁止されたけど
なぜいけないのかだれも教えてはくれなかった
罰がこわくて〈いけない遊び〉と覚えこんだだけ」
ソルジャー
「そうだジョミー
動物を檻にいれることこそがいけないとは だれも教えない
将来、社会という檻に入った時 “檻”が意識されては困るからだ
ジョミー 疑問は持ちたまえ」


 読者に対し、こんな問いかけをする作品が、今日では少なくなってしまったように思う。だからこそ、アニメでも使って欲しかった表現だ。

2007年4月 7日 (土)

マイ・プライベート・アイダホ

 夭折の名優リバー・フェニックスと若い頃のキアヌ・リーブスが美しく絡みます。…などと言っていたいけな女の子を騙すと後で殺されるかもしれません

 主役は確かに二人の美男ですが、彼らの稼ぐ手段は男娼として街角に立つこと。客は変態オヤジや金持ちのオバハンで、開幕早々から世も末な感じがスクリーンに充満します。
 彼らは街を飛び出し、二人で旅に出ます。よくある展開ですが、この旅で一切状況が好転しないところにこの映画の価値があるように思います。リバー・フェニックスはナルコレプシー(突発性睡眠障害)の持病があり、日常的に行き倒れますし、キアヌ・リーブスは実は市長の息子で、約束された不自由な将来が待つ身。社会に出る前の閉塞感をこれでもか、と映像にして見せていて見事です。そして、二人が全く別の人生を歩み始めたことを、二つの葬儀で対比したクライマックス(なのか?)は実にユニークです。
 それにしても、オープニングとエンディングで脈絡なく挿入される魚の遡上シーンは何を表すのか? と気になったのでGoogleで調べてみました。鮭の遡上はアイダホの名物であるという説、鮭は自らを傷つけても川を遡り続ける、つまり主人公の生き方を表したという説、の2つがあるみたいですね。
 後に、リバー・フェニックスがまるでこの映画の続きを演じるかのような死に方をし、必要以上に死が美化されてしまった気がするので、個人的な評価はちょっと辛目です。

Have a nice day !

映像美   8
同性愛度  8
死の臭い  8
個人的総合 5

2007年4月 6日 (金)

1リットルの涙 特別編 −追憶−

 2005年末に放送したTVドラマの特番。後日談+総集編というよくある構成だったのだが、まずCMが多すぎる事に文句を言いたい。
 レギュラー放送時には、クライマックスでレミオロメンの「粉雪」がフルコーラスでかかるという過剰演出だったこのドラマ。おかげで特番では3回くらい聞くハメになり、限界を超えて泣かせにかかる。

 それにしても、たった1年半なのに、このブランクのなんと大きいことか。
 先輩役の松山ケンイチのオーラのなさにまず失笑。「デスノート」のL役を射止め、今は大売れなのにねぇ。
 主演の沢尻エリカ。新しく撮った部分での演技では、死にゆく者の儚い目つきが出せていなかったし、たどたどしいしゃべりも不自然だった。いずれも昔は出来ていたことであり、沢尻には当時演技の神が降りていたのだろう、と寂しく思うしかない。
 でも一番驚くのは妹役の成海璃子。14歳なのに社会人の役をやって全然大丈夫ってどういうことだ。

2007年4月 3日 (火)

まさにドット絵の極致 「カルチョビット」

 これはやばい。安売りだったので買ったら、面白すぎてやめ時が見つからん。新学期を前に廃人になりそうだ。

 「カルチョビット」は、GBA用のサッカーSLG。テレビでサッカー中継がやっていたらチャンネルを変え、ワールドカップがあればいつもより早く寝てしまうくらいサッカーに興味がない俺がなぜこんなゲームを買ったかといえば、ひとえにこのゲームが薗部博之の作であるからだ。「ダービースタリオン」や「ベストプレープロ野球」を手がけた薗部氏が、「次はサッカーに挑戦したい」と言っていたのは確か10年くらい前のこと。それがようやく実現したというわけだ。
Xim8scwh  薗部氏の天才たる所以は、シンプルなパラメーターでスポーツのドラマチックな展開を鷲づかみにする、そのゲーム設計のセンスにある。
 「カルチョビット」においても、一人の選手を表現するパラメータはわずかに7。それなのに各選手が生き生きと個性を感じさせる働きをする。試合をすると課題(試合展開がまずいと出る、つまり負け試合も無駄にならない)が見つかり、課題カードを組み合わせるとスペシャル特訓が発動し、選手が育って上級リーグが見えてくるという繰り返しがやみつきになる。
 公式戦1試合がたったの10分、練習試合なら5分とおそろしく簡略化されているが、それでもサッカーのエッセンスは逃していない。例えば、オフサイドというルールを俺はこのゲームで初めて理解したし、ディフェンスラインを高くしてコンパクトに布陣すると強いという理屈も見えてきた。

 ダビスタで競馬を学び、ベスプレでプロ野球にハマった俺は、次はこのゲームでサッカーを学ぶのは当然のことである。今度は、サッカー中継もきちんと見てやろうと思う。

プロモーションムービーでドット絵をご堪能あれ

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