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2009年11月16日 (月)

「ディシプリン*帝国の誕生」の飯田和敏、学生にキレて講義を無期限中止

東京工芸大学講師でゲームクリエイターの飯田和敏氏がボイコット!「このクラスではもう授業出来ない」
教壇と勉強机は地続きだった。びっくりした?

 はじめの感想は「よくあること」だった。クリエイターの多くは、後進を育てることに興味を持っている。だから、学校から講師の依頼があると、けっこう簡単に引き受けてしまう。
 ところが、いざ学生を前にして愕然とする。あまりに低いレベル。特に、作ることへの意識の低さ。業界裏話には耳を傾けるが、制作のノウハウには全く興味がない。そんな学生が、珍獣でも眺めるような様子で、口を開けて並んでいる。悪夢だ。
 こうして、現役クリエイターは短期間で教育の現場を去っていく。
 大して選抜もされていない学生を、専門職の卵にまで育てるには、並々ならぬ根気と教える技術が必要だ。

 今回も、いつものそういう話題だと思っていた。ところが、よく読んでみると、飯田氏は8年もこの大学で教えているというではないか。これは講師としてもプロと言って差し支えなかろう。学生のレベルなども充分に把握しているはずだ。

「目の前に人間がいるってことがわからないみたい。動画として鑑賞されているような距離感。つらい」

この言葉に溢れる悲壮感。投げかけた話を受け取る者がいない状況を的確に表現している。だがこの無関心は、恐らく悪意から来てはいない。
 話していることを聞かない、というスキルに関しては今の若者は卓越している。これは皮肉でも何でもない。彼らはそうすることで身を処してきた。テレビをつければ映像があふれ出し、携帯電話でメールが行き交い、インターネットは情報の洪水だ。そんな環境で、いちいち物事をわが事のように受け止めていては、精神がパンクしてしまう。情報を受け流して関心を持たないこと、これは今の時代に生き残る方法なのだ。

 私は、寝ている学生を注意しない。やたら小言を言って、機嫌良く授業を聞いてくれている者の気分を害するのはもったいないからだ。その代わり、寝ている分の説明をフォローするような親切もしないので、結果は提出物の出来の差となって現れる。まさに自己責任である。飯田氏も、出席など取るのをやめて、レポートや課題という形で、結果を求めれば良かったのではないか。大学なら、そういう形が可能なはずである。

 今回、がらにもなく学生を貶めるようなことを書いたのは、つまり、「オレだったら飯田和敏の講義を金払ってでも聞きに行きたいんだよ!」「この学生たちは二度とできない贅沢な時間をあっさり捨てやがった!」ということで、いささか冷静さを欠いているからに他ならず、「ディシプリン」面白かったので飯田氏はがんばれ、と声は大にして字は小さく主張したいのだが、「あの先生はまた奇ゲー・クソゲーに肩入れしている」などと担当学生の陰口も聞こえてくるのでこれにて打ち止め。

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コメント

自分はむしろ、先生たちやちゃんとした生徒のような熱を、少なくとも当時は抱けなくなってしまったので
この道だけはダメだ、と思い、必要以上に傾いてしまいました。
今となってはその頃のことは色々後悔しておりますが、
今こうして読む先生の書く文やその論点は決して的から外れていないと思いますし、
単純なゲームへの愛情や経験値も、そこらの学生が敵うレベルでは無いと思います。

今は別分野に居る俺ですが、こっちに居ても感じるのは
自分が楽して得られた娯楽だからといって、生み出すのも楽なんだと思っているのが多すぎということです。

いつも楽しく読ませて頂いてます。

私も金払ってでも話を聞きたい!

誰だって魅力的な人の話なら聞きたいって思うはずで、
つまりはその学校の生徒の多くにとって飯田氏は魅力的でなかったのでしょう。


一見して解るエンターテイメントの面白さと
染み入って初めて感じる、ほくそ笑む様な可笑しさ、幸せ。
前者は万人向けで後者は見えにくいものかもしれない。

楽しみや可笑しさはただ甘受するのでは無く能動的に感じるからこそ、より面白い。


受容するだけでも腹一杯どころかパンクしてしまうほどの芝居に溢れた現代と、全てを受け入れてもまだまだ物足りなく感じた、ほんの少し昔。
数年〜10、20年という短い間でで能動的に楽しむスイッチの感度が変わってしまったんでしょうね。


自分の何かを捧げた分だけ快感や感動も多くなる。
受け入れるばかりの感動では、心の感動回路も鈍ってしまうのは仕方が無い。
でも今はそんな安い感動が溢れている構造が出来てしまっているだけに、先の無関心な学生達は可哀相であり

能動的な快感、感動のエクスタシーを知ってほしいなあと切に思います。


そこまでくれば飯田氏の講義がどれほど魅力的なのかは言うまでもないのでは無いでしょうか。

「ディシプリン」について
糞ゲー、奇ゲー、どう感じるかは人それぞれ。
ただ、なにがしかの本気さだけは十二分に伝わった。

だから評価がどうであれそれに触れられた自分は幸せなんです。たしかに気持ち悪いゲームですが。。。。

 いらっしゃいませ。
読み応えのあるコメント、ありがとうございます。
 さてその後の顛末ですが、
http://blog.excite.co.jp/kiida/9279749/
↑講義は無事再開されるみたいです。まずはめでたし。

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