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2010年3月13日 (土)

アドベンチャーゲームの歴史を振り返る その3

●選択式に賛否両論
Oho
「オホーツクに消ゆ」(84)アスキー
 堀井雄二のアドベンチャー第2弾。入力式をやめ、選択式としたのが画期的だった。選択式なら、キーボードは必要ない。ゲーム機のコントローラーでもプレイ可能だ。後に、ファミコン版の「ポートピア連続殺人事件」がヒットし、ゲーム機のユーザーにもアドベンチャーゲームが認知されていった。
 しかし、PCユーザーの間では、選択式は賛否があった。当時のアドベンチャーは謎解きがプレイ時間のすべてだった。正解がわかってしまえば一時間もかからない。そんなボリュームのゲームがほとんどであり、セーブ機能すらついていなかったのだ。選択式になれば、謎が解けなくても総当たりでクリアできてしまうではないか。

Jb1
「殺人倶楽部」(86)リバーヒルソフト
 リバーヒルのJ.B.ハロルドシリーズは、こうした選択式の弱点を力業で解決した。4つや5つならともかく、20も30も選択肢があったら、総当たりする気も失せるだろう。このゲームでは、膨大な組み合わせの選択肢を用意することで、プレイヤーが推理を意識しないと先に進めないようにした。選択式のゲームなどぬるい、と高をくくっていた古参ユーザーは打ちのめされた。
 このシリーズでシナリオを担当したのが、後にCiNGを立ち上げることになる鈴木理香である。ハードボイルドな雰囲気を湛え、質量ともに当時としては最高のシナリオだった。

●そして選択式が主流へ
 入力式のゲームは、選択式に取って代わられ、数を減らしていく。ファミコンで多数のゲームが出たこともあり、アドベンチャーゲームは選択肢を選ぶもの、という認識になっていったのである。
 現在でもこのタイプのゲームは健在。「逆転裁判」(01)シリーズの探索パートなどは、ほぼそのままと言える。

●一方、アメリカでは
 「ミステリーハウス」をヒットさせたシエラ・オンライン社が、革新的なアドベンチャーゲーム「King's Quest」(84)を作った。画面内のキャラクターを操作して謎解きを進める、というものだった。
King52
日本では無名のこのゲーム、90年頃になってから、なぜか突然5作目だけ日本語版が出た。(画面は5のもの) 絵のセンスが桁違いで、洋ゲーはすげぇ、と思ったものだ。クリアに困った場合、メーカーからヒントブックを買うことができたが、アメリカ本社から英語の本が送られてきて驚いたのも、良い思い出だ。

 さて、この「King's Quest」、キャラは動かせるのだが言葉の入力も必要、という過渡期的なシステムだった。そこで、このタイプのゲームを、マウス操作による選択式で快適にプレイできるようにしたのがルーカスアーツ社である。
Maniacmansion
「マニアックマンション」(88)ジャレコ
 これがその日本語版。ルーカスアーツが開発し、ジャレコが移植した。ファミコンで出たので、当時、変なゲームだと思いながらプレイした子供も多かっただろう。
 この項に関しては、下記のサイトが詳しい。いや~、貴重な画像がたくさんあるなぁ。

LUCAS ARTS ADVENTURE ISLAND

続く

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