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2015年5月

2015年5月31日 (日)

世界イカ革命「Splatoon」 その2

 全国のショップでイカ、完売。一方で、なあに、名作FPS、TPSに比べればどうということはないぜ、と冷やかな視線のベテランシューター諸氏も多いようだ。

 「スプラトゥーン」のターゲットは誰か。任天堂の広報は、いつもの通り、「どなたでも楽しめます」で済ますのだろう。これを、ゲームに慣れたシューターのプレイを横で見ているしかできないようなプレイヤー、と予想すると、本作の仕組みが次々に腑に落ちる。

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2015年5月30日 (土)

世界イカ革命「Splatoon」 その1

 長らく海産物シューティングの王座に君臨していた「DARIUS」だが、ついにその座を明け渡す時が来たか。

 先日発売の「スプラトゥーン」。そもそも私はWiiUを持っていないのだが、辛抱たまらずソフトを買ってしまい、職場でプレイする有様。
 環境がオフラインなので、メインとなる8人同時プレイができず、一人用のヒーローモードをちょっと触る程度。このゲームの真価は全く引き出せていないと言っていい。
 にもかかわらず、なんなんだこの、これから面白くなる予感の満載ぶりは。

 ヒーローモードは、ステージクリア型のオーソドックスなシューティングとなっている。このゲームならではのアクションを一つ一つ体得していくチュートリアルの役目も果たしているのだが、なるほど、これは対戦ではこう使えるな、と想像力がはたらくところが面白い。ボス戦も何やらゼルダチックで、強さよりも発想で立ち向かえるのが好ましい。

 デザイン全般の素晴らしさにも特筆すべきものがある。
 もちろん任天堂のことであるから、マリオやゼルダも優れてはいるのだが、歴史あるシリーズということで、そのゲームに合ったデザイン、という観点ではその良さがあまり表だってこない。
 ところが「スプラトゥーン」はまっさらの新規ということで、すべてはこのゲームのためだけに作られている。ゲームに合ったデザイン作法がビシバシ伝わってくる。薄汚れ、ぼんやりした色調のステージが、ビビッドなインクで塗られていく様は、即興のアートのよう。そんな内容だからこそ、ストリート系海産物、という斬新なキャラが合う。

Spla02

今のところ、からっと揚がった靴屋がお気に入りである。ところで「ころも」って英語で何て言うんだっけ。

2015年5月25日 (月)

「龍が如く0」その6 ポケサーファイター日記

 さあ! みんな、準備はいいか!
 今、本編はエンディングの手前まで来ているぞ! 最後にやり残したミニゲームがこのミニ四駆、もとい、ポケサーだ!
 外では元ヤクザで不動産会社社長の桐生も、ここではカズマくんとして、小学生に交じってレースだ。多様なカスタマイズ、多様なコースと、なかなかに本格的なゲームになっているぞ。

Ryu06ああ~っとぉ~! コースアウトしてしまったぁ~! このときの情けない顔は、とても堂島の龍とは思えないぞ! カスタマイズを変えて出直しだ!
 パーツは、モーター、バッテリー、ギア、フィン、サイドステーなどに分類され、ショップに売っているのだが、揃えるのには億単位の金が必要というキチガイ沙汰だ。ここに来ている諸君は、どれだけ裕福な子供なんだろうな! 係員兼実況のポケサーファイターは、時給800円の30歳フリーターという身につまされる設定なのに、アンバランスにもほどがあるぜ!
 おお~っとぉ~! どんどんレースをクリアしていたら、なんと、コースエディット機能が解放されたぞ~! サーキットを自在に作って、レースを楽しむことができるぞ! ライバルも次々に出てくるし、やめ時が全く見当たらない! くぅ~っ! この無限の奥深さが、ポケサーだぁ!

2015年5月23日 (土)

百日紅 -Miss HOKUSAI-

 公開してからさほど日も経たないのに、もう一日一回の上映に減っている、ということであわてて観てきた。いや~、なるほど。これは売れませんわ。

 良くも悪くも淡々としてクール。主人公のお栄は北斎の娘で、後に応為として知られる絵師。そしてもちろん、父である北斎も登場する。しかし、伝記ではない。また、有名な絵を描き遺すエピソードもない。盛り上がる筋は意図的に避けられている。代わりに、小さな出来事を丁寧に連ね、江戸時代の日常がしみじみと活写される。
 同じ江戸時代を舞台にしたアニメ映画としては「伏」があるが、バトルあり恋ありでアニメアニメしたプロットをもつ作風は、「百日紅」とは真逆だ。
 お栄は龍をとらえて描き、ろくろ首を見、鬼の絵が災いを起こす事件に遭遇する。怪異に遭遇してもお栄と北斎は驚いたり恐れたりしない。ただそれを受け止めるだけである。迷信が迷信ではなかった時代の人々を、うまく描いていると思う。
 結末も一応終わり、という感じで話はおよそ盛り上がらない。しかし、老いてなお絵の高みを目指そうとした北斎の想い、夭折した原作者杉浦日向子の想い、椎名林檎の「最果てが見たい」がシンクロし、内に込められた熱量は相当なもの。それがわかる観客にだけ評価されるのだと思う。

 サブタイトルはじめ、ところどころの表現に海外での公開を意識したことが見えるが、無理でしょ。この機微を理解できるのは、日本の、しかもほんの一部の観客だけだ。

話の起伏  3
演技の細やかさ 9
万人受け度 2
個人的総合 5

2015年5月19日 (火)

METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES

 小島プロダクションの名が冠される最後のゲームになりそう、ということで、グラウンドゼロズをレビュー。

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 独特の没入感があるゲームだ。
 オープニング、シリーズお馴染みの長いムービーが入る。ところが、その映像が一人称のような撮り方で、まるでその場に居合わせているかのような臨場感がある。
 ゲームが始まってもその感覚は続く。メタルギアオンラインへの展開を意識してか、マップを見たり、無線で交信したりする間もゲームは止まらず、途切れない時間の連続が意識されている。
 シリーズの特徴であるステルスもだいぶ変わった。敵の視野がマップ上で扇状に可視化されたり、見つかった時に「!」マークが出たりするやり方は、わかりやすい反面、神の視点で見るような他人事感があった。グラウンドゼロズでは、そのような表示は一切ないので、リアルで没入感があるが、感覚的に隠れなければいけないのでゲームが難しく感じる。
 エンディングの映像が恐ろしく長いが、これも一人称を意識した内容で迫力がある。

 メタルギアソリッドは、数年に一度しか出ないこともあり、シリーズ間でストーリーにつながりがありつつも、いきなり新作からプレイしても支障がないように作るという、離れ業を毎回やっている。
 「グラウンドゼロズ」は、「ファントムペイン」の序章と銘打たれているが、もう一つの役割として、過去作との因縁を断ち切る。長いエンディングがそれを担っており、「ピースウォーカー」でユーザーが手塩にかけて育てたであろう基地を全滅させ、旧ヒロインのパスも葬った。

 グラウンドゼロとは、爆心地という意味である。コナミの家庭用ゲーム開発拠点は、今やすっかり焦土と化した。過去の実績を奪われ、仲間やプロダクションを失った小島監督の姿は、本作のスネークと異様なまでに重なって見える。すべてを失って復讐に臨むという未来を、監督はすでに予見していたのだろうか。短いゲームの中で、小島小島と名前を出しまくるいつもの演出も、なんとか足跡を残そうという必死さに見えてくる。

2015年5月17日 (日)

デル・トロ監督から熱いエール。どうする小島監督?

 「サイレントヒルズ」開発中止について、再びデル・トロ監督がコメントを発表した。

Game*Spark:デル・トロ監督が『Silent Hills』への思いを明かす―小島監督には「世界が終わってもついていける」

デル・トロほんまええ奴。クリエイターの苦境を知るのは、やはりクリエイターということか。どうせなら、小島を呼んで映画の一本でも作ってしまえ。
 一方のコナミであるが、いつまで経っても国内向けの公式発表をしない。

コナミ:サイレントヒルシリーズポータルサイト

「新作の予定なんかなかった」と言わんばかりのだんまりぶり。もともと小島プロダクションのサイト(現在は抹消)のみで情報があり、こちらには何もないという歪な形だった。確執はすでに長かったのかもしれない。
 そして、小島プロダクションの解散以来、コナミが何かするたびにユーザーの反感を買う形になり、会社としての対応のまずさが目立つ結果になっている。

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2015年5月14日 (木)

JRPG終了宣言。イメージエポック倒産

 イメージエポックが倒産した。
 3月に、自社販売の予定だった「ステラグロウ」がセガからの販売に変更。4月には同社のサイトが消滅するなど、様々な前兆があったので、やっぱりか、という感じだ。
 この会社は、「ルミナスアーク」「セブンスドラゴン」などで、一定の支持を集めたが、やはり印象に残っているのはJRPG宣言。自社パブリッシュの開始を派手に打ち上げ、御影社長がまるでレベルファイブの日野社長のように見えたものだ。「最後の約束の物語」「ブラックロックシューター」の発表にもうなった。私が学生だったらきっと買っただろう、と思える見事な中二っぷりは、コアな層から根強く支持されそうだった。
 残念ながら現実は甘くなく、ネタの引きだけは強かったものの、RPGとしては、ユーザーの期待に応えるだけの作り込みがなかった。瞬時の快感で満足できるアクションゲームなどと違い、RPGでは、日本ファルコムやアトラスのようにこだわりの職人技を惜しげもなくつぎ込まないと、評価がもらえない。安く早く作ることを公言していたイメージエポックの姿勢では土台無理なのだ。「トキトワ」の薄っぺらさはその最たるもので、業界での開発会社としての信頼も徐々に失われていったようだ。
 某転職サイトに、

2012年頃からプロジェクトが終了する度に人がやめていった。数本同時に開発ラインが動いていたが、2014年には、社内開発ラインか2本→1本となっていった。JRPG宣言やら上場と言っていた面影はなくなってしまった。もともと、外部から転職してきた人がノウハウをもっていたが、優秀な人はさっさと転職し、開発能力が著しく下がってしまった。

などという元社員の生々しい証言が残っていて笑えない。
 最近は和製RPGで良いニュースが少ない。「テイルズ」の新作は不評、「ブレイブリーセカンド」や「ゼノブレイドクロス」も売れていない。かつてRPGを遊んでいたプレイヤーは、長くじっくりプレイする環境を失って、スマホに流れている。この倒産もまた、そうした動きの一端のように思える。
 最後に余談。これは完全にとばっちり。かなわんなあ。

2015年5月12日 (火)

寄生獣 完結編

 予想通り、波風立てず原作と同じに終わったが、前編よりも完成度が高かった。

 完結編では、市役所でのパラサイト狩り、後藤との対決など、アクション的な見せ場が豊富。ところが、それらがストーリーの山場になっていない。クライマックスとなったのは、田宮涼子が赤ん坊を託すシーン。戦いよりも人間ドラマを静かに印象付ける作りで、これは原作の精神にも合っている。
 思えば、前編も、母を乗っ取ったパラサイトとの戦いがクライマックスになっており、全体を通じて、親と子こそが人間の基盤、という主張が底に流れている。パラサイトたちは、個としては強いが、親も子も持たない。
 この映画の感想を言う場合、まず橋本愛のラブシーンを語ることがお約束になっているようだが、全面的に乗っかっていくと、奥ゆかしいというか古風というか、とても貴重なものを観たように思った。最近は洋画のオープンなラブシーンしか観ていなかったので、そんな風に思ったのかもしれない。予想外に橋本のガタイが良すぎて、染谷が小さく見えるのには驚いた。この場面が要らないのではないか、との意見も聞くが、とんでもない話で、原作でも非常に重要なシーンなのは読めば歴然、人間とパラサイトとを分かつ象徴的な場面なのである。映画ではこのシーンへのつなぎ方がやや強引なのだが、そこはまあ時間の制約ということで。
 BUMPによるテーマ曲は、一部で不評なようだが、私としては、きちんと内容に合わせて新曲を作詞してくれただけでも御の字。パンフレットでは、原作の岩明均がコメントを寄せているが、インタビュアーの質問をことごとく受け流して大人な対応を見せていて面白い。

深津絵里演技力 10
新井浩文演技力 8
浅野忠信演技力 5
個人的総合 7

2015年5月 6日 (水)

バトルシップ

 痛快アメリカ万歳映画が地上波発放送。バトルシッパー諸氏のツィートで、連休中のネット界隈は大いに盛り上がったらしい。

 以前から言われているが、この映画、「パシフィック・リム」と筋は似ている。
 謎の侵略者と人類との対決を、迫力あるバトル中心で見せるのは言うに及ばず。主人公に兄がいて戦闘の犠牲となるのも同じ。ヒロインたちが別で動くのは、「パシフィック・リム」での科学者の冒険に対応する。新しい艦船を失ってしまったので、戦艦ミズーリを老兵の協力で動かすくだりは、本作きっての名シーンだが、「パシフィック・リム」のジプシー・デンジャーもまた、旧式ゆえに停電下で最後の頼みとなる。
 であれば、「パシフィック・リム」を絶賛してやまない私は、この映画を楽しめて然るべきなのだが、これがまた全然パッとしないのだ。この印象の差はどこから来るのか。まさに慢心、環境の違いというやつだ。「パシフィック・リム」が怪獣VS巨大ロボという絵空事をオタクらしく大真面目に描いたのに対し、「バトルシップ」は終始コメディーに逃げる。チキンブリトーのくだりからそれは一貫しており、リア充がウェーイウェーイ言いながら半笑いで作ってるんじゃないかとすら思える。エンドロールで流れる反戦ロックも、内容が好戦的過ぎたから、というしみったれた言い訳の産物に見える。
 作中では、エイリアン視点の映像で、丸腰の人間は攻撃対象にならない、という描写が繰り返し出てくる。殺戮を目的として行動してはいないのだ。こういう作品の敵にはふさわしくない描写で、もっと言えばエイリアンらしくない。そこでふと気づく。これは、日米が協力してどこかの国と戦うことの暗喩なのではないだろうか。バカ映画を装って、何か余計なことを吹き込まれている気がしてならない。

主役クズ度 8
親父無敵度 9
面白兵器 9
個人的総合 4

2015年5月 3日 (日)

寄生獣、特別編で規制獣

 録画してあった「寄生獣 特別編」を視聴。

 何が特別なのかというと、「完結編」の映像が一部入っており、ミギーのナレーションで前作を振り返るという編集になっていること。まだ観ていない人もここまでの物語を知ることができ、劇場で「完結編」を観るための大がかりな宣伝になっている。
 私は前作を映画館で観ており、完結編も観る予定。特別編はおさらいにちょうどいいか、と思って観たのだが、これはひどい。内容が大幅に損なわれており、劇場へ足を運ぶ人が減ってしまうのでは、と心配になった。
 TV放送なので、時間に合わせるためのカットがあるのは仕方ない。問題は、残虐シーンの規制。とにかく何も映らないので、主人公が何を見て恐れているのか、驚いているのか、さっぱりわからない。私は元の映像を観ているので、記憶により補完することができたが、こんなものを初めて観て感情移入できるのはよほどの人だけだろう。この物語は、残虐なシーンと日常の対比があってこそメリハリが生まれるのであって、それを失った特別編は味気なくてつまらない。これだけを観て、「やっぱり実写化は失敗だったね」という感想がネットに溢れるのは、興行側にとっても本意ではあるまい。

 物語を再構成することなくぶった切っている、その規制の方がよほど暴力的である。番組冒頭に、「衝撃的な映像があります。ご注意ください」とテロップが出たのも、悪い冗談としか思えない。そんなものほとんどなかったぞ!

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