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2016年9月11日 (日)

君の名は。

 新海誠ファンの彼は拗ねていた。
 「君の名は。」が大ヒットし、興行収入もジブリか細田守かという水準になることが予想されている。そんなばかな。新海誠と言えば、煮え切らないモノローグとやりきれないエンディングであり、一般客がニコニコできる要素などさらさらなく、わかる奴だけに支持されるマイナーの巨匠だ。俺たちの新海はどこへ行く。

 だが上映が始まると、5分で彼は安心した。この独特の空、そして饒舌なモノローグ、間違いない、いつもの新海節だ。
 新海誠はゲームのオープニングを数多く手がけてきた。「君の名は。」は、随所でRadwimpsの曲のMVとなっており、ここでも特技が発揮されていた。

注意:以下にネタバレを含みます

 男女の意識が入れ替わるこの映画、瀧の住む東京と、三葉の住む田舎とが交互に舞台になる。普通なら、田舎の自然豊かな景色がきれいだな~、となるべきだが、新海の描く都会が絶品すぎて、東京の方がきれいに見えてしまうあたりバランスがおかしい。
 また、新海は無機物を異様にこだわって描くことがあり、本作では扉の開閉がそれにあたる。普通の開閉は、妹の四葉が姉の部屋をのぞくときだけ。他は、玄関にせよ電車にせよ、扉の桟にカメラを置いたローアングルな視点で、扉によって画面が左右に切断されるような演出がなされている。かなり奇異な印象であり、こんなもん流行らせてどうすんの? と疑問がわく。
 その答えはクライマックスにある。ご神体の祠近くで瀧と三葉がついに出会うシーンで、二人が画面の左右に配置され、わずかな時間の後に引き離される。扉の演出は、それを象徴しているのだろう。この奇跡の時間を「片割れ時」と呼び、作中でわざわざ国語の先生に説明までさせているが、「彼は誰時」にそんな方言はなく、おそらくフィクションと思われる。
 その後、新海ファンの彼はやきもきし続けることになった。彗星の場面では、三葉が助からず終わるのではないかと気をもみ、数年後の瀧と三葉が歩道橋の上ですれ違う場面では、いよいよこれが結末かと観念した。新海誠とはかつてそういう監督だった。
 だが「君の名は。」はそうではなかった。新海誠は、誰もが楽しめるエンターテインメントを目指した、と語る。売れるようにしちゃいました、と謙遜するのはこの人らしいが、本意は違うだろう。彗星を使って語られたのは、かつての大災害を経験した、誰もが持つ想いだ。その場所には、もっと生きていてほしかった人がたくさんいる。甘いストーリーになったかもしれないが、フィクションの中でくらい、その想いを叶えたっていいだろう。

映像美 9
キャスティング 10
Bump of chicken度 9
個人的総合 9

他の方の「君の名は。」評
忍之閻魔帳
琥珀色の戯言

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