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2016年10月19日 (水)

映画 聲の形

 マンガは最初だけ知っており、また、製作が京アニであることから、TVシリーズが放映済みでその完結編ではないか、と誤解していた。実際はこれが初の映像化である。
 「君の名は。」効果か、カップルの観客が多かったが、上映が終わった館内は静まり返っていた。そりゃそうだ、見て楽しくなれるストーリーじゃない。心理描写中心の、考えさせるドラマだった。

 主人公の将也は、小学生時代に、耳の聞こえない硝子をいじめた。硝子がいかにハンデを克服するか、そういう話ならこれまでにたくさんあった。一方この映画は将也の側に視点を絞り、彼の贖罪と彼への許しを描くことに挑戦していた。
 だが私にはしっくりこなかった。

注:以下にネタバレを含む

 映画が終わって私が考えたのは、誰が硝子を殺したのか? ということだった。

 硝子は自殺しようとし、これを将也が助ける。
 この出来事で、将也はいじめの犯人から、命の恩人へと一足飛びに反転する。一方、被害者だった硝子は、将也に大けがをさせた加害者として罪悪感に苛まれる。
 このエピソードに、私は、物語の外からの圧力、はっきり言おう、観客からの圧を感じるのだ。
 もともと、硝子は将也を受け入れ、許していた。その聖女のような都合よさに一部から批判があることは知っているが、そのことはここでは置いておく。将也の方が、過去の罪を意識し、気後れしているという状態だった。であれば、わざわざ硝子に自殺までさせずとも、もっと小さなきっかけによって彼が立ち直ってもよかったはずだ。
 そうできないのは、罪を犯した者に対して不寛容な、世間の風潮のせいだ。将也は、小学校時代の行状を高校になっても責められている。決していじめを忘れて楽しく過ごしてきたのではない。そのような描写があってさえ、「将也はクズ」というレッテルを貼る観客が後を絶たない。時の流れによって過去の罪が許されることはない、というのが、昨今の不寛容な正義の特徴だ。
 よって、硝子を生命の危機にさらし、それを将也に助けさせるしか方法がないのである。

 心理描写において抜群のリアリティ(特に植野と川井が素晴らしい)を表現してきたこの映画において、自殺をめぐるエピソードは、そのバランスを欠いた劇的過ぎる表現と感じた。人というのはもっと不完全であやふやなもの。裁判や神判のように、公平に罪を負わせようとするのは、何か傲慢のように思うのだ。

心理描写 8
背景描写 8
キャラ造形 5
個人的総合 7

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